はじめに
第1章 技術同人誌の執筆を始める前に
第2章 技術同人誌の構想と企画
第3章 技術同人誌の計画
第4章 技術同人誌づくりの体制
第5章 技術同人誌づくりのスケジュール
第6章 技術同人誌の装丁
第7章 技術同人誌の執筆
第8章 技術同人誌のマーケティング
第9章 技術同人誌の入稿
第10章 イベントの準備
第11章 イベント当日
第12章 イベント終了後
後書き
本書では、技術同人誌の企画からイベント参加後までのひと通りの流れを掴み、どのように進めればいいかを解説しています。
あなたが技術同人誌を書こうと思ったのはなぜでしょうか。あなたが持っている技術を誰か他のエンジニアに伝えたい、技術同人誌の即売会イベントに一般参加1して自分も作ってみたいと感じたから、などの実現したい目的を持っているからでしょう。
あなたがエンジニア、もしくはエンジニアと一緒に仕事をしているのであれば、技術同人誌を制作すること自体がプロジェクトの要素を持っていることや、日常的に使用している手法やツールを利活用できることに自然と気づくでしょう。
日常的な仕事と技術同人誌の制作での大きく違う点があります。それは仕事を分業しているか、全ての作業をあなたやあなたと共に活動するチームで終わらせるかです。サービス開発やシステム開発では、事業の企画やマネージメント、マーケティング、コンテンツ制作、品質検査、リリースおよびフォローアップに多くの人が関わることで遂行しています。仕事と技術同人誌の制作の規模とは比べ物になりませんが、技術同人誌の制作も必要な工程はひと通り行うという点では同じです。
このように書くと、技術同人誌を作るためは、多くの学習をする必要があるかと心配するかもしれません。でも、心配はいりません。あなたが日常的な仕事では担当していなくても、それらを断片的に見聞きしていたり、資料で読んでいたり、ネットで知っているはずです。
本書では、そうした断片的に知っていることを繋ぎ、足らないところは足しながら進められるように構成しています。
さあ、技術同人誌を制作する活動を始めましょう。
あなたには、本書を手に取った時点で、技術同人誌を執筆する理由が3点あります。ひとつ目は、様々な手法やツールを実践する機会を自分で作ることができる点です。ふたつ目は、経験した実践知を形式知に変え、自分のプラクティスとして残す機会を作れること。最後は、あなたの知見は他のエンジニアの宝物にできることです。
この3つの理由だけで、あなたが技術同人誌を書くには十分な理由になるでしょう。
まだ、技術同人誌を書くことを躊躇っているのであれば、もう少しだけ読み進めてください。
あなたは、これまでのエンジニアとしてのキャリアの中で、多くの技術書を読んできたことと思います。そこで思い出してください。実際に『実務で使ってみた手法やツール』がいくつあったかを。
技術書は読んでみたけれど、実務では読んで知った方法論や手法、ツールを実際に使う機会は一度もなかった、という経験を持つエンジニアが多いのではないでしょうか。
技術同人誌の制作の一部である『企画』を始めるだけで、すでにいくつかの手法やツールの利用を実践できます。昨日のままでは何時になっても使われることがなかった手法やツールが、技術同人誌の制作を始めようと決めるだけで、これまでとは違う世界観に一変するのです。
書籍から得た知識を使われないままにする……そんなことはさせません。手法もツールも使う道具です。技術同人誌の制作を始める!と決めるべき理由は、ここにあります。先延ばしする理由は、ありません。
技術同人誌を書き始めることで、自らが実務で体験してきた多くの実践知を、自分の言葉で形式知に変換する機会を創出することができます。
経験は後天的に学習し、実践知としての基礎的なスキルや、技術を適用する際に使われる技術スキルとして、あなたを形作っていきます。実践知を言語で表現し直すことは、自分が置かれた状況下でどう意思決定しているか、その振る舞いへの理解をサポートするでしょう。
技術同人誌の制作は、経験してきた実践知を形式知に変換するという機会を介して、あなた自身の形式知の体系的な整理に役立ちます。それだけでなく、言語化されたあなたのプラクティスは、共に活動するチームのエンジニアや同じ技術クラスタに伝わることで、さらに深い知見を得る手段になるでしょう。
あなたがエンジニアとしてどのような実践知を得てきたか、見識を体系立てて形式知として残す理由はここにあります。実践知のまま温めておく理由は、どこにもありません。
あなたは本書を読み、これまで多くの書籍で蓄えてきた知識を使う理由と、経験を知見として残す理由があります。
これまでエンジニアとして積み重ねてきたキャリアで得たノウハウは、あなたが思っているよりも、他のエンジニアにとっては価値のある宝物です。
あなたの知見は、あなたには宝物であることに気づかせてくれません。なぜでしょう。それはとても単純なことです。自分の知っている技術的な知見や実際にやり遂げるアプローチは、後天的に学習して身につけています。それは自分にとっては、できて当然の当たり前な能力として捉えているからです。
でも、あなたと一緒に働くチームのエンジニアが自分よりツールを便利に使う使い方を知っていたり、ツールをサポートしてくれるエンジニアが知らない使い方を見せてくれると、とても勉強になると感じるでしょう。
それは、あなたが他のエンジニアの知見にコンタクトすることで、知的好奇心を擽られたからです。同じことを技術同人誌を媒介として実現しましょう。
知見について自分で評価するだけでなく、それに関心を持つ世の中のエンジニアが受け止めることで、その価値を享受してもらうことができます。
あなたには、技術同人誌を書く理由があります。
あなたの技術同人誌を読む楽しみが、多くのエンジニアに対して提供されることを待っています。
本書で使用している各種テンプレートは、githubで公開しています。テンプレートは、予告なく変更されることがあります。
・https://github.com/inayamafumitaka/pro-ori-templates
本書に記載された内容は、情報の提供のみを目的としています。したがって、本書を用いた開発、製作、運用は、必ずご自身の責任と判断によって行ってください。これらの情報による開発、製作、運用の結果について、著者はいかなる責任も負いません。
本書に記載されている会社名、製品名などは、一般に各社の登録商標または商標、商品名です。会社名、製品名については、本文中では©、®、™マークなどは表示していません。
本書籍は、技術系同人誌即売会「技術書典5」で頒布されたものを底本としています。
この章では、技術同人誌を書き始める前に予め知っておきたい点、例を挙げると、
・執筆者自身のこと
・対象とする読者のこと
・本書で出来ることおよび出来ないこと、
・技術同人誌を執筆するための活動全体の把握
・執筆を乗り切るために知っておきたいフレームワーク
・外部から制限される制約事項
といった事項ついてお話しします。
普段からものづくりに関わるエンジニアは、自身だけが知っている実践知を数多く有しています。
エンジニアが持っている実践知は、一人ひとりが経験してきた役割や身に付けてきた技術および技術レベルに、何一つとして同じものはありません。
これらの経験は、それを言語や図表などに汎化することで、他のエンジニアにも共通して適用できる技術的なノウハウやティップスとして、伝えやすさを備えるようになります。
エンジニアは、日常的に集めた情報から類似する性質を持つデータを塊で捉えます。そこからパターンを抽出し、アウトプットを繰り返し行う活動を行なっています。エンジニアの日常的な活動には、『情報を抽象化して伝える』という、技術同人誌を制作する活動に取り組むために必要なノウハウも含まれているのです。
技術同人誌を制作する際に適用する手法やツールに対する知識には、次のものがあります。
・システム開発や維持管理でのプロジェクトマネージメント
・成果物を作成するためのウォーターフォールやアジャイル開発のシステム開発手法
・その開発を効率的に生産性を向上するために導入する生産性向上ツール
・確実にアウトプットすることをメンタル面から支えるマインドセット
エンジニアは、これらの4つの知識それぞれについて、何かしら知見を有しています。
技術同人誌を制作する活動を介して得られる、出来たと感じられる体験やノウハウは、知的好奇心を擽ぐる属性を持っています。エンジニアは、このような知的好奇心から得られる楽しみ方を経験的に知っています。
本書は、技術同人誌を書きたい方、技術同人誌を書いてみたい方を対象としています。本書に出てくる用語には、IT業界で使用されるキーワードを用います。IT業界の用語については、特段の用語説明はありません。
もしわからない用語があっても、読み飛ばして文脈が理解できればそのままでも問題ありません。でも、ネットで検索するちょっとした手間で、用語を検索すると知識を得る習慣づくりに役立ちます。
紙媒体による頒布の制作進行を扱うことから、普段、接することがあまりない印刷に関する用語も含まれます。この用語のうち、特に同人誌即売会などで使用されるキーワードや印刷関連で使用するキーワードについては、注釈も参照してください。
本書は、商業誌での執筆や技術書典等の同人誌頒布イベントで体験したノウハウを、体系的に整理しています。これは、技術同人誌の制作進行の全体を把握出来るようになることを目的としているためです。
技術同人誌を制作するために、必要とする体系を把握出来るようになると、次に何をすれば良いか先が見えるようになります。先が見えれば、次の活動をどのように進めようか考える時間を確保することを、考えられるようになります。
先を考えるということは、これから起きるだろうことの心積もりをするということです。これが習慣になると、思い掛けない出来事にも対応出来るようになります。
制作工程の全体を俯瞰する視点を持てるようになると、状況を把握することの重要性もその価値も理解出来るようになります。
なによりも、計画した成果を得るための活動を完了させることの価値を、身を持って経験することが出来ます。
本書の目的は、技術同人誌の制作進行の把握であることから、制作進行上で利用する様々なツールの使用方法については解説しません。手法やツールを解説した専門書やそれを扱う技術同人誌もしくは公開されている技術ブログ、スライドなどを参考にしてください。
本書では、一通り技術同人誌の制作進行を把握し、進行できるようになることを目的としています。技術同人誌を執筆し、世に出すには執筆するエンジニア自身です。
ですから、執筆するエンジニアの支えとなることを願いつつも、実際に世に出るかどうかは、執筆者自身の活動に委ねられていることを忘れないでください。
技術同人誌の制作技術を理解するだけでは、技術同人誌を上梓することはできません。入稿の締め切りまでに執筆の区切りを付け、執筆を終わらせてください。
このセクションでは、技術同人誌を制作するために取り組む活動全体を把握します。全体の把握では、技術同人誌の活動を1枚にまとめたプロジェクト思考キャンバスの様式を使いながら進めます。
プロジェクト思考キャンバスの良い点は、1枚のシートで技術同人誌の制作の活動を一瞥で把握出来ることです。フリクションペンを使うと、思いついたことを即座に書き込めるため、自分でどこまで何を考えていたかを可視化することができます。
技術同人誌の制作工程は、フローチャートとしても表現することも可能ですが、それぞれの活動を進めていくと相互に関連するアクティビティーもあります。そのため線で表現すると複雑になり、見辛くなります。その点で、プロジェクト思考キャンバスは、活動を関連づける線がないためシンプルです。
技術同人誌を製作するための主な活動を、次の表に示します。活動は、企画からイベント事後までの11の活動で構成します。イベント事後の活動では、イベント参加で収集した頒布データを分析することで、次の印刷数量へのフィードバックやマーケティングの観点でのフォローアップに繋げます。
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活動 | 内容 |
1 | 企画 | 技術同人誌の活動全体の目的や活動中の意思決定の拠りどころとなる、判断基準や技術同人誌に求める納期・品質・コストの考え方を整理します。企画の段階で参加するイベントを決め、手続きを行います。 |
2 | 方針 | 活動全体のアクティビティーに、共通する方向性を定めます。迷ったとき、ここに立ち戻ります。 |
3 | 体制 | 技術同人誌の企画から、イベント事後までの体制を決めます。体制は、通常1人か複数名で活動するチーム制の何れかになります。同人活動に携わる活動団体をサークルと言います。1人のサークルは、個人サークルと呼びます。 |
4 | スケジュール | 企画の開始からイベント事後までの、技術同人誌の制作を進行するための計画です。 |
5 | 装丁 | 技術同人誌の構成、ページの割り当て、表紙、本文のデザイン全てを検討し、デザインを決定します。 |
6 | 執筆 | 技術同人誌の原稿を書く工程です。最初の段階で執筆量を測定し、原稿の完成予定日とバッファの日数を見通します。 |
7 | マーケティング | 技術同人誌を頒布するための、チャネルの創出と広報を行います。 |
8 | 入稿 | 印刷所の案内に従い、印刷仕様の指図と入稿データをアップロードします。 |
9 | イベント準備 | 交通手段、サークル入場時間帯、参加諸条件、釣銭管理、頒布物配送、設営、携行品など、当日使用する物を準備します。 |
10 | イベント当日 | イベント当日の食事、設営備品の運搬、設営、見本誌提出、頒布可能数確認、貴重品管理、頒布、撤収など、イベント当日のアクティビティーを実行します。 |
11 | イベント事後 | イベント終了後に頒布実績確定、決算、次回申し込み、イベント終了後の打ち上げを行います。 |
制作活動の各作業は、順番に進めた方が良いものと、イベントドリブンで進めても良い活動があります。活動を順番に行うかイベントドブリンで進めるかは、本書を参考にサークル主宰者自身の価値観から、テーラリングを図って決定してください。
技術同人誌の制作活動には、プロジェクトの性質があります。技術同人誌を制作活動は、プロジェクトの用語定義で示されている、『有期限性の性質を持ち、実現しなければならない業務目的が明確な活動』だからです。
技術同人誌の制作活動は、頒布したい技術同人誌を制作する活動を通じて、イベント開催日の期日までに制作活動を終了させます。活動の終了には、技術同人誌のイベントでの頒布の有無は必須条件にはなりません。なぜなら、イベントへのサークル参加は、イベント主催者による抽選で決まる、外部から制約される条件だからです。
この活動では、ふたつの手法を組み合わせて使用します。執筆の企画からイベント参加までの全体計画は、システム開発手法のウォーターフォールを部分的に適用すると良いでしょう。
ウォーターフォールのエッセンスを適用するのは、スケジュールにマイルストーンを設定し、活動の枠(アクティビティーの括り)を当てはめていくところです。
全体計画にマイルストーンを設定するのは、イベント主催者の指定するマイルストーンとなる期日が固定で指定されるからです。システム開発のプロジェクトと同じように、執筆活動を行う上でサークル主宰者の都合で変更することができない、外部から制約を受けるマイルストーンは重要です。
一方、技術同人誌の表紙や本文のデザインや執筆など、コンテンツ作りに関わる活動は、仕様を活動主体であるサークルで決定出来ます。デザインや執筆する本文は、実際にアウトプットしてからでないと、伝えたいコンテンツとして表現できているかを確かめられないと言う特性を持っています。このことから、アジャイル開発の手法を適用すると進行がフィットしやすいです。
活動全体としての成果物を書籍として捉えた場合、成果物に当たる技術同人誌というスコープは変えられません。執筆するコンテンツの内容や記述の品質より、外部から制約を受けるマイルストーンの方が優先順位が高いです。
これらのことからも、ウォーターフォールとアジャイル開発のふたつの手法の良いところを組み合わせて適用します。
プロジェクトマネジメント・フレームワーク1とは、プロジェクトを遂行する上で必要となる様々な手法や、マネージメントシステムをその特性から4つに分類して整理した知識のフレームワークです。
プロジェクトマネジメント・フレームワークは、次の4つの層で構成します。
・マインドセット層
・ツール&テクニック層
・システム開発手法層
・プロジェクトマネージメント層
次の表に、技術同人誌の制作活動をプロジェクトマネジメント・フレームワークに当てはめた場合のイメージを示します。
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層名称 | 内容 | 例 |
1 | マインドセット層 | 技術同人誌の制作活動に従事するサークルメンバーのマインドを有りたい状態に維持するための取り組みです。 | 書いたらネコをもふもふして心を保つ、甘いフルーツパフェを食べに行く。 |
2 | ツール&テクニック層 | 制作活動の生産性向上に寄与する支援ツールを導入し、効率と品質を確保する取り組みです。 | just right!を使用し、文書校正を自動化する。Gitで分散執筆を実現する。 |
3 | システム開発手法層 | 制作活動に適したスケジュールや執筆活動の特性に合わせて、それらの実現可能性を確実にする作業プロセスデザインの骨格となる手法です。。 | ウォーターフォールとカンバンを併用する。 |
4 | プロジェクトマネージメント層 | プロジェクトとしての制作活動の計画を立案し、マイルストーンから乖離しないように進行をコントロールします。 | PMBOKを参考にプロジェクトをマネージメントする。 |
このプロジェクトマネジメント・フレームワークの各層を理解し、それぞれのレイヤーの手法やツールを活用することで、技術同人誌の制作活動から期待する結果を得られるように、プロジェクトのリスクをコントロールします。