このたびは、本書『クリエーターのためのYouTube実践活用術!データで考える、ネット時代のミュージシャン生存戦略』を手にとって頂き、誠にありがとうございます。
本書は、「特別な才能がなくても、理詰めの努力でそれなりにYouTubeで活動できるようになる」ことを目指した、おもに趣味や副業として活動している音楽クリエーターやミュージシャンのための一冊です。
筆者「gcmstyle(アンメルツP)」は、学生時代に趣味として作曲を始め、2008年からは合成音声を使って音楽作品を作曲・発表する「ボカロP」としてネット上で活動を行っています。
ボカロPが本格的にYouTubeに自身で曲を投稿する流れは、2010年代の後半以降、とりわけ活発になりました。その結果、コロナ禍の2020年以降には、ボカロPをはじめとする「ネット発のミュージシャン」とカテゴライズされるクリエーター全般が、音楽シーンに大きな存在感を示しています。
しかし、筆者自身は思うところがあり、まだボカロ曲はニコニコ動画のみへの投稿が主流だった2010年よりYouTubeを始め、長い間この動画サイトを活用してまいりました。
本書は、2020年に執筆した同人誌を、最新の状況を踏まえて加筆修正したものです。この12年間の投稿者としての経験・実感と、YouTube Studioの「アナリティクス」機能に蓄積されてきたチャンネルのさまざまな分析データを交えた構成となっています。それらをもとに、YouTubeの変遷を振り返るとともに、使いこなしのテクニックを紹介していく内容です。ショート動画の活用のような最新事例を押さえつつ、ボカロPに限らずネット時代の今を生きる音楽クリエーター・ミュージシャン全般に向けたヒントとなるような本を目指しました。
YouTubeは用語やインターフェイスを頻繁に変える傾向がありますので、書いたものがすぐに陳腐化してしまわないよう、単なる「手順書」ではなく、より歴史的に全体の流れを俯瞰したものを紐解いていきたいと思います。
2022年5月末現在での筆者のYouTubeチャンネル登録者数は7,600人ですので、決して「有名クリエーター」ではありません。しかし、多くのクリエーター仲間やファンと楽しく交流しながら、長年ネット創作文化の片隅を盛り上げてきたつもりです。音楽制作の専業クリエーターではなく、事務所にも所属しない中、自分自身の持つリソースを最大限活かしてここまできました。
『ボカロビギナーズ!ボカロでDTM入門』や『クリエーターのためのWordPress活用入門』といったこれまでの著書同様、「アマチュア~セミプロの現場の実情」を踏まえたノウハウや熱量が伝わると幸いです。
2022年6月吉日 gcmstyle(アンメルツP)
本書に記載されている会社名、製品名などは、一般に各社の登録商標または商標、商品名です。会社名、製品名については、本文中では©、®、™マークなどは表示していません。
本書内では、ヤマハ株式会社の合成音声技術「VOCALOID」以外の技術を用いた合成音声も含めて「ボカロ」、その音声を用いた楽曲を「ボカロ曲」と呼称することがございます。
ニコニコ動画では2008年からボカロ曲を投稿する活動を行っていた筆者が、YouTubeにチャンネルを開設したのは2010年2月2日のことです。2007年に発売された「初音ミク」を中心とするボカロ(VOCALOID)ムーブメントの初期には、ニコニコ動画が大きな役割を果たしていました。
一方その頃、YouTubeにアップされるボカロ曲は基本的には第三者の転載が主で、それに対してはとくに気にしないスタンスの方が多かったです。
下記のグラフは、ニコニコ動画に投稿されているボカロ曲のうち、YouTubeにも作曲者本人が投稿した曲の割合が、それぞれの年でどれくらいあるかを示したデータです。
こちらの調査データは、ボカロ曲のメドレー動画を発表されている「いも男爵」さん(https://www.youtube.com/channel/UCgM2hLPZK09fPOKj7uXey3g)の提供によるものです。年ごとに代表曲(ニコニコ動画におけるマイリスト数の上位)100曲をピックアップしました。グラフの下から順番に「同時投稿(定義:YouTubeへの投稿日が、ニコニコ動画へ投稿してから2週間以内)」・「後から投稿(同2週間以上)」・「未投稿」を示しています。
このデータによると、「同時投稿」が半数を超えるのは、「初音ミク」発売から実に7年後となる2014年です。2019年以降は、ほとんどのクリエーターが同時投稿しています。本グラフには反映されませんが、逆に「YouTubeにしか投稿しない」というケースも見かけるようになりました。
そもそもニコニコ動画では勝手にMVや歌・絵などが曲から二次創作される中で大きな創作の輪が確立されていったため、00年代のボカロ黎明期には、転載を含めたネット上の自由な利用も気にしている人が少なかった(黙認or認めてないけど何もしない)雰囲気がありました。
また、当時はボカロ曲の発表だけで生活していこうと思う人もいませんでした。というよりも、そう思うような空気や環境自体なかった、というのが正直なところです。
ほとんどの人は楽しい砂場遊びとして考えていて、メジャーレーベルやゲームメーカー、JASRACなどの協力の下、何年もかけて少しずつ商業の道が切り開かれていった、という事情があります。
有名な転載者に転載されるとYouTubeで伸びる、なんていう興味深い現象すらありました。きっとおもしろいものを発掘してやろうというバイヤーのような感覚だったのでしょう(個人的には、こうした初期のムーブが最近「切り抜き動画」という形である意味合法的に再構築されようとしているのがさらに興味深いです)。
では、なぜその中で筆者は2010年という早い時期からYouTubeにも自分でアップしようと思ったのでしょうか?それには大きくふたつの理由がありました。
筆者はその当時、「Sweet Ann」という海外製で英語歌唱ができるボカロを使っていました。ニコニコ動画の動画が英語の動画説明文やファンサブ(第三者による勝手翻訳)つきでYouTubeに転載されている様子を多く見て、ここにSweet Annの曲を投稿すれば海外からの反応が得られるかもしれないと考えたのです。
実際YouTube Studioの統計を見ると、チャンネル開設後の1~2年は、日本からの動画視聴は60%ほどで、残りは海外の視聴者でした。日本語以外のコメントの反応も多かったのです。今でこそ日本の割合が80%を超えていますが、それでも一定数の海外視聴者は存在します。
海外戦略については、第3章のコーナー「地域比と海外向け戦略」でまた書きます。
動画の転載に関しては、筆者もその当時の他のボカロPと同じように、基本的には認めていないけれどとくに何もしないというスタンスでいました。
その一方、転載動画ならではの懸念についても考えていました。
一番の心配は、転載動画が万一消されてしまったときに、それまでの再生数、さらにコメントなどの反応も一緒に消滅してしまうのではないかということでした。
動画の転載をやっている人は、ボカロ動画以外にもいろんな動画を転載しており、その中には、転載が許されない商業物も多く見受けられました。結果、動画の削除が度重なり、最終的にはアカウントごと消滅するという出来事が多々ありました。
「こういうことで文化的な資料が全部なくなるのは非常にもったいない、だったら作者が直接アップするべきだ」
それが当時の筆者がYouTubeに動画を上げる一番の動機だった気がします。